決闘がなぜ大切か?
決闘はロマンですし、決闘がそもそも犯罪だということになると、数多くの決闘物語は犯罪性があることになってしまいます。でもこの際、犯罪性はあまり重要ではないですね。冒険モノで人を殺してやっつけていくタイプは、全て傷害罪や殺人罪を問われる可能性がありますから。
双方が納得ずくで行なう決闘は、あっても良いと思うんですよね。そういう男の世界があってもいい。といっても、ヤクザ映画みたいなものではなくて、もっと清い決闘が。
最終的な勝負を「法廷」でつけるわけにはいかないこともあります。裁判では、原告と被告が戦っているように見えて、実は裁判官と戦っている面もあります。ですから、真の意味で決着をつけるには、決闘しかありえない。
「決闘罪」は仇討ちを防ぐために明治時代に定められたようですが、元来、仇討ちと決闘は同一ではないはず。忠臣蔵に代表されるように、仇討ちは、後に罪に問われたとしても後悔しないぐらいの心境で行われることだってあります。
そういう意味では、決闘罪で投獄されても構わないと腹を決めて決闘する分には、今でも自由なわけです。しかし、双方が納得して挑む決闘は、仇討ちとは違って、もともと犯罪性に乏しいと思います。野蛮かどうかは主観の問題ですから、何人も決闘を強制されることがないのであれば、当人同士がやる分には問題ないと思うのです。麻薬やギャンブルのように広まる恐れもないし。
もちろん、論理の展開が無茶苦茶で支離滅裂なことは分かっています。ちなみに私は、決闘などするつもりは、毛頭ありません。
2005.3.4(金)