決闘がなぜ大切か?
決闘がなぜ大切か?
 決闘はロマンですし、決闘がそもそも犯罪だということになると、数多くの決闘物語は犯罪性があることになってしまいます。でもこの際、犯罪性はあまり重要ではないですね。冒険モノで人を殺してやっつけていくタイプは、全て傷害罪や殺人罪を問われる可能性がありますから。
 双方が納得ずくで行なう決闘は、あっても良いと思うんですよね。そういう男の世界があってもいい。といっても、ヤクザ映画みたいなものではなくて、もっと清い決闘が。
 最終的な勝負を「法廷」でつけるわけにはいかないこともあります。裁判では、原告と被告が戦っているように見えて、実は裁判官と戦っている面もあります。ですから、真の意味で決着をつけるには、決闘しかありえない。
 「決闘罪」は仇討ちを防ぐために明治時代に定められたようですが、元来、仇討ちと決闘は同一ではないはず。忠臣蔵に代表されるように、仇討ちは、後に罪に問われたとしても後悔しないぐらいの心境で行われることだってあります。
 そういう意味では、決闘罪で投獄されても構わないと腹を決めて決闘する分には、今でも自由なわけです。しかし、双方が納得して挑む決闘は、仇討ちとは違って、もともと犯罪性に乏しいと思います。野蛮かどうかは主観の問題ですから、何人も決闘を強制されることがないのであれば、当人同士がやる分には問題ないと思うのです。麻薬やギャンブルのように広まる恐れもないし。
 もちろん、論理の展開が無茶苦茶で支離滅裂なことは分かっています。ちなみに私は、決闘などするつもりは、毛頭ありません。
2005.3.4(金)
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無冠の小説家 さん】(No.1)
brogでのこういった言葉の決闘は本当に罪がない。だが、近代日本の悪しき制度としてあった仇討ち、近代西欧ではやった「名誉を守る決闘」
を含め、決闘という世界中にあった裁判の1形式は、実際の正邪のありかとは無関係に、ただ腕力の強いほうが勝利するという決定的な欠陥、不条理がある。決闘も仇討ちも当人同士の粋好みと世間体を取り去れば、ただこっけいと悲惨しかないのは明らかだ。江戸時代にこの制度でいかに多くの悲劇とどろどろの現実があったかは、成功率1%以下という現実を見れば明らかだ。「忠臣蔵」や「護持院原の仇討ち」は奇跡のような例外的事実だったから(ロマンとして)今に伝えられるのだ。現実としての決闘はロマンではまったくない。こんなものをはやらせて貰っては困る。
匿名希望さん】(No.2)
ルールは当人同士で決めればいいんで、単純な殴り合いじゃなくてもいいんでしょ?

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