Tack'ns
>
ひとりごと
> Here.
「メスは闘犬に使えない」土佐犬の子犬3匹、川に捨てる
★コメント投稿欄は
このページの最下部
にあります。
「メスは闘犬に使えない」土佐犬の子犬3匹、川に捨てる
ニュース
http://www.sankei.co.jp/news/050218/sha063.htm
2005.2.18(金)
その他の記事|
正八面体
|
マラソンを札幌、のこと
|
母の理屈
|
蓮舫と小池百合子と稲田朋美という究極の選択
|
国連事務総長「日本の常任理入り、中国と関係改善が必要」
|
くりそつネタ
|
鮨のフタに醤油入れるところ
|
山手線新駅、カタカナ駅名は勘弁してくれ
|
閉塞感ばかりが残る SMAP騒動
|
デパ地下は死んだも同然。RF1とカキヤスの猛威
|
外国人参政権の法制化
|
目には目を、風刺画には風刺画を
削除キー:
管理用:
【
匿名希望
さん】
(No.1)
同感です。
犬は駄目なのにネズミは良い…、動物を差別する必要は無いでしょう。
ネズミを可愛がっている人もいるし犬を可愛がっている人もいます。
ハエも生き物として潰さずに大切にする人もいるかもしれません。
人によって価値観は違うので動物愛護法は廃止して、
個人の倫理に任せるのが一番良いでしょう。
【
CASPAR003
さん】
(No.2)
動物(特に犬や猫の類)を虐待する人間は社会にとって危険な存在だ。という認識が根底に存在するのだと思います。そこにどれほど相関関係があるのかはわかりませんが…
【
愛猫家
さん】
(No.3)
論旨は理解できるが、なぜ「やっぱり」なのかが分からない。どうせ守られないなら規制は意味がないということか?世間の良識に任しておけば、更に虐待が蔓延する惧れもあるぞ。常識化するまでは啓蒙の意味で法規制もやむをえないのでは?
【
匿名希望
さん】
(No.4)
人間も動物であり、その虐待も倫理の範疇であるべきなのでは。
それが出来ない人がいるから、裁きが必要であり、発想としては愛護法も同じでしょ。
倫理が完全になされれば、法があろうとなかろうと同じである。
【
匿名希望
さん】
(No.5)
最後は食べなきゃいけないって決めようよ。
【コメントを投稿する】
お名前:
メールアドレス:
(省略可)
削除キー:
(省略可)
・削除キーを用いて可能なのは「削除」だけです。投稿後の編集はできません。
・文字数は1000バイトまでです。
・コメントを削除する時は、記事本文の下の「削除キー」欄に削除キーを記入して、コメントの横の「削除」ボタンをクリックして下さい。