ムハンマドの風刺画
ムハンマドの風刺画
2015.1.22(木)
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無冠の人間精神研究家さん】(No.1)
人間が「表現の自由」を重要なことだと考えたのは、表現(訴え)≠意味の表現≠言葉(による表現) と考えたからだろう。つまり、共通の言葉による訴え同士の対決、論争によって妥協が図れる(更に高次元での解決の可能性がある)という未来への展開を信じた故だろう。ここには感情の対決は考えられては居ない。甘い考えだろうか。
つまり、
どんな自由も許されるという原始的な思いから人間は進歩するべきだし、当然ながら人間世界は矛盾した自由同士の争いから、言葉での論争を経て妥協し、洗練された表現へ向かわねばならないちうことだ。
フランスともあろう国がこういうことに気づかないはずもないと思うが、どうもレベルの低い論争が続くことだ。なさけない、失望してしまった。

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